Hatibei's music blog

以前は写真ブログでしたが、最近はもっぱら音楽の話題です。

石仏、石塔など

百庚申

取手市小文間の百庚申です。百基の庚申塔が参道をはさんで並んでいます(庚申塔と刻まれた石塔が十基並ぶと次に青面金剛像がたつといった配列になっています)。嘉永4年(1851)から万延元年(1860)にかけて毎年十基前後たてられたものです。参道を奥まで進む…

疱瘡神

2009年10月16日に何だかよく解らない石造ということでアップした写真ですが、取手市の埋蔵文化財センターが編集した『ふるさと探訪』という本をパラパラめっくていたところ、疱瘡神だということがわかりました。 疱瘡(天然痘)が流行した時代、その病が外か…

くじばさま

取手市ゆめみ野公園内のくじばさまです。取手市教育委員会の説明文によると、 「この石造は「くじばさま」と呼ばれ、地元ではむかしから「クジの神様」として信仰されてきました。かつては路傍に置かれ、これからひとやま当てようとする人たちが、ご利益にあ…

鮭地蔵

利根川(常磐線取手駅付近)の鉄橋の近くに鮭地蔵があるというので、 昨日、見てきました。一見、どうということのないお地蔵様ですが、 利根川の土手の斜面に立ち、台座の部分に「鮭」の文字が見えることから、 このお地蔵様、昔、このあたりで鮭漁が行なわ…

七福神と毘沙門天(取手市)

上の2枚は7年前に撮った取手市稲の七福神と毘沙門天です。 昨日、7年ぶりにここへ行ってみると、七福神の両脇に大きな石灯籠がたってました。 (下の2枚は昨日撮ったもの) 見方によっては七福神の石像よりも石灯籠の方が立派かなという感じもして、 バ…

お不動様?

昨日、西光院廃寺址でみかけた石像です。 剣と羂索を持っているので不動明王像でしょうか? 荒削りな感じですが、お顔はどこか幼げに見えたりもして・・・。 ずいぶんと古そうですが、造られた年代などは彫られていません。 台座の部分に彫刻があって、これ…

大聖寺の石仏

昨日アップした取手市大聖寺の境内にあった石仏です。 お姿からしてお不動様だと思います。 お顔の表情が何ともいえません。 江戸時代につくられたものかな? とすると、この石仏をつくった人もつくらせた人も今は当然生きていません。 こういった石仏をみて…

守谷市のおばけ石(成田山不動明王石碑)

守谷市高野の海禅寺の近くに成田山不動明王の石碑があります。 この石碑、おばけ石と呼ばれていてます。 というのも、昭和50年(1975)に近所の小学生が石碑に人の顔が写っている といったのがきっかけになって、その噂がひろまり、テレビや週刊誌などで紹介さ…

秋の地蔵

2枚の写真は同じお地蔵様を撮ったものです。 お地蔵様は普通は錫杖(杖)と宝珠をお持ちですが、 このお地蔵様は宝珠の代わりに片手で子供を抱いています。 確か地蔵の「地」は大地、「蔵」は母親の子宮をあらわしているのだったかな? そのためか、お地蔵…

倒れた石仏

つくばみらい市のはずれをぶらぶらしていると、倒れた石仏が並んでいました。 倒れた石仏達の近くに小さな祠のようなお堂があったので、 鍵のかかった格子戸ごしに中を覗いてみると、厨子の中の仏様も倒れていました。 石仏も小さなお堂の中の仏様もこの3月…

古びた六地蔵

古びた六地蔵をみつけたので写真を撮ってきました。 それぞれのお地蔵様のお顔が素朴で好感がもてました。 下の写真、もげた首を後からくっつけたようにも見えます。 と、これだけではナンですので、戯言(たわごと)を・・・。 母方の祖母は僕が生まれる前…

東漸寺の六地蔵

よく晴れているので、松戸市の東漸寺へ行ってみました。 この寺、かなり歴史のある寺で、長い参道や山門や鐘楼など趣がありますが、 今日は境内にたつ六地蔵の写真をアップします。 上の写真、向かって左から3番目のお地蔵様はことによいお顔をしてました。…

切れ長の目の地蔵

昨日、龍ヶ崎市般若院で桜の写真を撮りましたが、 その時、境内で見かけたお地蔵様です。 切れ長の目が印象的でした。 古いお地蔵様ではなさそうですが、 手の部分が壊れてました。 このお地蔵様の近くの石灯籠がばらばらになって倒れていたのは 地震の影響…

追分の石仏

取手市で見かけた追分(道の左右に分かれる所、分岐点)の石仏です。 子供の墓石かなという雰囲気です。 剥落していて石に彫られた文字が読めないので、 いつ頃のものか分かりませんが、江戸時代かな?

メガネをかけた地蔵?

メガネをかけたお地蔵様でしょうか? それとも、 錫杖も宝珠も持っていないからただの石像?

シンドラーの地蔵

赤以外は白黒というシンドラーのリスト風写真が何となく気に入ったので、 今年の4月に撮ったお地蔵様の写真も加工してみました。 話は写真と全く関係ないですが、ニュースをみていて、 役人の天下りはここまでデタラメなことやっていたのかとあっけにとられ…

石仏

取手市で見かけた石仏です。横に文化二年(1805)と彫られていました。 お地蔵様ではないようで、観音様かな? と、これだけでは何ですので・・・、 英語の Depression は(深刻な)不況という意味で the Great Depression なら大恐慌ですが、精神的な状態をい…

お地蔵様

つくばみらい市福岡で見かけたお地蔵様です。 享保九年(1724)と台座に彫られていました。 古いわりには綺麗なお姿をしています。お顔もどこか現代的・・・かな? 赤い頭巾がよくお似合いです。

五輪塔

つくば市北条の八坂神社で見かけた五輪塔です。 説明文にようると、高さ約2メートルで花崗岩でできてきたもの。 造立されたのは天文六年(1537)、県内では二番目に古い五輪塔だそうです。 経筒が納められていたそうで、納経塔としての五輪塔は全国でもめずら…

つくばみらい市で見かけた石仏

つくばみらい市の畑の中で見かけた石仏です。 お姿からすると大日如来像でしょうか? 花瓶代わりにしているのか、石仏の前の湯飲み茶碗?がよい感じです。 宝暦三年(1755)と彫られています。 この頃の出来事というと宝暦治水事件なーんてのがあったようです。

着込んだ石仏

柏市布施弁天境内の石仏です。上唇と下唇から牙がはえているお顔が面白いけれど、あまりに沢山着込んでいてどんな石仏なのかよく分かりません。後ろにストーブがあるし余程寒がりな仏様なのかな? 夏になったら少しは薄着になるのかな? もし薄着になったら…

道標の石仏

取手市下高井で見かけた石仏です。 上の写真の石仏には享保三年(1718)と彫られています。石仏の下の彫られた文字は道標(みちしるべ)のようで、「右ハ」という文字とこのあたりの地名の「下高井村」という文字が判読できました。 道標の石仏の隣りに「十九…

壊れても石仏

つくばみらい市で見かけた石仏です。胸から上だけになったモノや顔が分からなくなってしまったものなどどれもだいぶ傷んでいました。 下の写真の壊れたお地蔵様には寛政九年(1797)と彫られています。

大日如来

つくばみらい市の板橋不動境内にあった石仏です。「奉造立大日如来」と書かれているので大日如来ですね。板橋不動は真言宗の寺ということもあり、大日如来があっても不思議ではありません。しかしもともとは寺の境内にあったのではなくてどこか道の横にでも…

落ち葉と六地蔵

守谷市の海禅寺の境内で撮った六地蔵です。イチョウの落ち葉が降り積もっていました。 随分と古そうな六地蔵です。石の剥落の具合からみると江戸時代の初期か中期に造られたのかな?

石仏には見えませんが・・

取手市で見かけた石像です。二人並んでいますが道祖神には見えないし、石仏でもなさそうだし、神様でしょうか? いや巫女さんかなぁ? 文政六(1823)年と彫られています。文政というと徳川11代将軍家斉(いえなり)の時代。この家斉という将軍には妻妾が16人…

山田地蔵院の石仏

常総市の小貝川近く山田地蔵院というお寺。ここ墓地はたくさんありますが、寺らしい建物はなくて本当にお寺なのかな? といった印象がなくもないんですが、石仏はわりとたくさんありました。 1枚目は剣を持っていらっしゃるからお不動様でしょうか? 少し雰…

童顔のお地蔵様

さるお寺の六地蔵(写真はその中の四体)です。どのお地蔵様も子供のようなお顔をしています。

赤い帽子

載せる写真がないので2年前に撮ったものです。 皆さん、赤い帽子をかぶっていますね。「帽子の法師」といったところでしょうか? 並んで座禅をしているのかな? 座禅といえば曹洞宗の道元さんを思い浮かべますが、道元さんの言葉です。 「愚人おもはくは、…

青面金剛像

取手市で見かけた青面金剛像です。像の下には三申、横には庚申塔がたっていました。像に正徳二年 (1712) と刻まれています。この年は徳川六代将軍家宣が亡くなった年。翌年七代目の家継(まだ幼子)が将軍になりましたが、この将軍も数年で亡くなってしまい…