昨日アップした取手市大聖寺の境内にあった石仏です。
お姿からしてお不動様だと思います。
お顔の表情が何ともいえません。
江戸時代につくられたものかな?
とすると、この石仏をつくった人もつくらせた人も今は当然生きていません。
こういった石仏をみていて、そんな歴史にうもれていった名もない人達のことを想うと、
少しだけ胸が熱くなり、
「あなた達のつくった石仏、平成の世になっても残っていて、その想いを残していますよ」
と、手を合わせたくなります。
誰にでも父と母、2人の親がいて、おじいさんとおばあさんは4人、
ひいおじいさんとひいおばあさんは8人、そうやって過去をさかのぼると、
血のつながる直系の祖先の人数はどんどん増えてゆき、
10代さかのぼれば1000人を越え、20代さかのぼれば100万人をこえます。
大昔の人は皆血のつながったご先祖様ということになってしまいますね。
今現在を生きている僕達現代人もやがて歴史の中にうもれて消えてゆきますが、
未来に何か確かに自分たちは生きていたのだという痕跡を残すのでしょうか?
その代表例が核廃棄物なんていうのじゃ、これは相当に情けないですね。