昨日、西光院廃寺址でみかけた石像です。
剣と羂索を持っているので不動明王像でしょうか?
荒削りな感じですが、お顔はどこか幼げに見えたりもして・・・。
ずいぶんと古そうですが、造られた年代などは彫られていません。
台座の部分に彫刻があって、これは日本の神様のようなお姿をしていて、
よく分かりませんが、一組の男女のようにも見えるので道祖神かなぁ?
いつの時代に誰がどんな動機(目的)でこの像をつくったのか、
具体的なことは今となってはもう知りようがありません。
しかし、この像をつくらせた人の情熱のようなものは、
現代を生きている僕にも伝わってくるような気がしました。
石仏といえば・・・、
・ほとけにもなりかたまるはいらぬもの石仏らを見るにつけても (一休)
という一休さんの道歌がありました。一休さんは野にある石仏を見て、
こんなふうに「なりかたまる」のなんざまっぴらだと思ったのかもしれません。
こんな道歌もありました。
・さとりなば坊主になるな魚食へ地獄へ行って鬼に負けるな (一休)
一休さん、面白いお方です。何事にも縛られることのない自由人だったのでしょうね、きっと。
禅の悟りとはつまらない世間の物差しに縛られない自由な精神にあるのかもしれません。