Hatibei's music blog

以前は写真ブログでしたが、最近はもっぱら音楽の話題です。

石仏、石塔など

壊れた石仏

つくばみらい市で見かけた壊れた石仏です。 頭はどこへいってしまったのかな?

田圃の中のお地蔵様

田圃の中にぽつんとお地蔵様が立っていました。写真を撮った僕の背後も一面の田圃・・・。 墓石かな?

庚申塔

つくばみらい市の小貝川土手下に熊野神社という小さなお社があり、そのお社近くに写真の三申の庚申塔がありました。 延宝二年(1674)と彫られてますが、延宝二年というと徳川四代目将軍の家綱の時代です。次ぎの五代目が犬公方として悪名高い徳川綱吉ですが…

横顔

石仏の横顔です。 大貫妙子さんの歌に「横顔」というのがありましたが、あれはよい歌だったな~。

石仏の花見

石仏も笑顔を浮かべて花見をしてました。

六地蔵

昨日、取手市の高源寺近くの七地蔵(六地蔵+1)の写真をアップしたので、今日はつくばみらい市の板橋不動境内の六地蔵の写真をアップします。 六地蔵というのはいわゆる仏教の六道思想にもとづいているようです。死後生まれかわるという六つの世界にそれぞ…

七地蔵と延命地蔵?

取手市高源寺近くの七地蔵(右側の古いお地蔵様の横に新しく六体の地蔵を造ったような感じです)とやはり高源寺境内の中の祠の中に鎮座するお命地蔵様です。石台に「不生疑惑 現世所求 皆令満足 後生浄土」と書かれていますが、これは「延命地蔵経」の中に出…

叶観音

以前、アップしたことのある取手市上高井の叶観音像ですが、紅葉が綺麗だったので再アップです。 茨城県南部の平野では、紅葉というと11月下旬がピークだったような気がしますが、最近は12月になってからの方が綺麗な気がします。温暖化の影響でしょうか…

大日如来とお地蔵様

取手市のはずれ、市之代で見かけた石仏です。 「奉造立大日如来武運長久為・・・」と彫られているので、大日如来像ですね。 武運長久の願いをこめてつくったのだとしたらつくったのは武家かなぁ? 元禄十五(1702)年につくられたようです。(上の写真) その…

如意輪観音

如意輪観音の石仏を見ると、「奉供養十九夜念仏」などと書かれたものが多いようです。 十九夜念仏というのは女の人達が旧暦の19日の夜に集まって(如意輪観音は女人の守り神として信仰されたようで)如意輪観音の前で念仏しながら安産や子供の無事な成長を…

明王?

柏市でみかけた石仏です。剣を持っているので不動明王かなと思ったんですが、もしそうなら一面二臂で剣と羂索を持っているはずなのでどうも違うみたいです。この石仏は六臂ですもんね。 青面金剛夜叉明王は一面三眼六臂ですが、もしそうだとすると胴体に蛇を…

大柏神社のお不動様

守谷市大柏神社の水飲み場の後ろにお不動様の石像があります。平面的なお顔でなかなか味のある像です。寛政十年(1798)につくられた像のようです。 神仏混淆は江戸時代までの日本の伝統ですが、神社でお不動様を見かけたりすると、そういった伝統が今でも完全…

海禅寺の石仏

守谷市の海禅寺は平将門建立と伝わる古刹です。そんなこともあってか、境内には将門の影武者7人の墓(室町様式)と将門の墓(江戸様式)が並んでいます。(下の写真) この寺の片隅に古い石仏や墓石が集められていました。その中に上の写真のような美女がい…

法海寺(取手市)のお地蔵様

取手市の法海寺は住職のいないひっそりとした寺ですが、 この寺には沢山の石仏があります。 今回はその中から個人的に好きなお地蔵様の写真です。 上のお地蔵様は首を傾げていて女性的ですこし色っぽい感じがします。 読みづらいんですが、文化二年(1805)と…

裏地蔵

先日、紹介した取手市岡のお地蔵様の後ろにあるので裏地蔵とも呼ばれている野仏です。 高さ約55センチ、岩屋の中で座っていらっしゃいます。 延宝八年(1680)と刻まれているので、お地蔵様建立の14年後にできた石仏ということになります。 お地蔵様との位…

地蔵大菩薩像

前回、前々回と程紹介した取手市岡の仏山島古墳、大日山古墳の近くに大きなお地蔵様が立っていらっしゃいます。高さ約170センチ、建立は寛文6年(1666)で、光背をつけた石地蔵では茨城県下で最大だそうです。

お地蔵様

安楽寺境内のお地蔵様です。 一般にお地蔵様は左手に如意宝珠、右手に錫杖(しゃくじょう)というお姿ですが、このお地蔵様の左手には赤ちゃんが抱かれていました。古そうなお地蔵様ですが、おだやかで優しそうなよいお顔をされています。

石仏(お地蔵様?)

また石仏の写真です。そのお姿からお地蔵様かなと思います。 上の2枚は同じ像です。

石仏

喪中だからという訳ではないですが、石仏の写真です。 1枚目と2枚目、3枚目と4枚目は同じ石仏です。 一番下の写真は石仏が影のように写って面白い写真になったような気がします。

石仏(如意輪観音? 弥勒?)

ウォーキング中に見かけた石仏です。お姿から如意輪観音か弥勒菩薩のように見えます。 随分と古そうでおそらく江戸時代につくられたものだと思います。 少し物憂い表情に見えるのは見る側の心の反映でしょうか?

最近、我ながらでれ~としているので、喝! 守谷市長龍寺の石塔です。

天和二年の石仏

取手市内で天和二年(1682)につくられた石仏を見かけました。天和二年といえば、あの八百屋お七が放火で焼け出された年。この年の暮れ、お七は駒込の正仙寺(円乗寺との説も)で避難生活をすることになるんですが、そこで寺小姓の生田庄之助に惚れてしまう。…

駒形様

取手市岡の延命寺内に平将門が戦死した時に乗っていた馬が埋葬されたという塚があります。このあたりでは駒形様と呼ばれています。塚にたつ石碑には「将門大明神」と書かれていました。

聖徳太子像と観音像

取手市内、関東鉄道稲戸井駅の北と南に神明神社があります。上の写真は北側の神明神社内の聖徳太子像。側面に元治二年(1865)正月吉日と彫られていました。元治二年といえば四月に慶応に改元された年。成人前の聖徳太子像のようですが、お顔がよくわからない…

石仏?

守谷市の熊野神社近くで見かけた石仏?です。お顔は笑っているように見えます。頭の上にのっているのは化仏(けぶつ)でしょうか? お地蔵様には見えないし、よくわからない石仏?です。

二申の庚申塔?など

上の写真は茨城県つくばみらい市の熊野神社の二申の庚申塔?です。寛文六年(1666)と石碑の側面に彫られていました。とすると、今まで写真に撮った中で一番古いものということになります。

神明神社の三申

取手市内の神明神社にまた延宝の三申庚申塔をみつけました。「庚申塔」という文字はなくて申と年号だけが彫られたシンプルなもので(文字の書かれた部分は壊れたのかもしれません)延宝八年(1680)庚申の年につくられたもの。隣りの青面金剛はいつのものか定…

庚申塔

今朝、nonkiさんからリクエストのあった庚申塔の写真を撮ってきました。剥落していて字が読みづらいですが、延宝という元号が読みとれました。延宝というと1673~1681だから相当に古いもののようです。近くに文政四年(1821)の青面金剛塔(剥落がひどいですが)…

石仏

写真は取手市内で見かけた石仏、観音様かな? 文化四卯年(1807)と側面に彫られてました。最近、石碑や石仏に少し関心が出てきまして、見かけるとそばによって何が彫られているのか観察?するようにしています。馬頭観音の石碑の集まっているところに「~禅定…

青面金剛と庚申塔

取手市内の青面金剛の石碑。文化二年(1802)のもの。青面金剛は一面三眼六臂の金剛童子で、庚申会(こうしんえ)の際に本尊として祀られます。 下の写真はやはり取手市内の三申の彫られた庚申塔、横に文久二年二月吉日と書かれていました。ちなみに文久二年(1…