Hatibei's music blog

以前は写真ブログでしたが、最近はもっぱら音楽の話題です。

シグナルは赤

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シグナルは赤。

赤信号は「止まれ」ですね。

最近、あたりを見回すといろいろな事柄に赤信号が灯っているような気がして・・・。


ビートルズの歌に While my guitar gently weeps、

そのアコースティックヴァージョンの歌詞の一部に

I'm sitting here, doing nothing but aging
YouTube 画面の「もっと見る」をクリックすると歌詞についての詳細が載っています)

という部分があって、昔、その部分を聴いた時、本当にそうだなと思ったものでした。

http://www.youtube.com/watch?v=pzvQAd17XK8

ここにすわって何もせずただトシだけとってゆく・・・。

生きるというのはつまりはそんなもの・・・、

とはいっても、止まって(何もせずにすわって)ばかりはいられないのかな?


話しは変わって・・・、

お釈迦様の生きていた古代インドでは多くのシュラマナ(修行者)がいて、

いろいろと自由に物事を考えていたようです。ある本にそのシュラマナ達のことが

書かれていたので、大胆に要約して書くと下記のようなことになります(本当か?)

アジタの学説
布施や供養や祭司の必要はない。そのようなことをしても何の果報もない。
人は死んでしまえば虚空となり、死後は何ものこらないのだから。

パクダの学説
霊魂は不滅であり、人の行為(業)の果報がある。善因善果、悪因悪果、
来世はあり、その来世は今世の行為の結果として現れる。

ゴーサーラの学説
人は前世の宿命を反復することによって除々に解脱に近づく。
宿命であるから修行によってその過程を早めることは不可能である。
愚者も賢者も流転輪廻を完了するまでは苦しみが終わることはない。

サンジャヤの学説
来世があるのかないのか、生まれ変わった生き物はいるのかいないのか、
そのようなことは分からない。そんな問題を考え、論じ、思い悩むことは
迷いに他ならない。だからそんなことを考え、論じ、判断することを中止すべき。
形而上学的なことを考えるよりも、脚下(あしもと)を見るべきだ。

プーナラの学説
人を殺しても、盗みをしても、他人の妻と通じても、それらを悪だときめつけ
られない。常識的道徳にしばられない人生観を求めた?

ニガンタの学説(ニガンタはジャイナ教の教祖)
ものごとを絶対的あるいは一方的に判断してはならない。物事は様々な
立場に立って考慮すべきである。常にものごとの判断は相対的にすべきだ。
つまりは絶対の否定ということか?

昔の人々もいろいろ考えていたんですね。現代人はどうなんだろう?

サンジャヤの学説やニガンタの学説のように考える人達が多いのかも。

お釈迦様の場合は八正道を通して「我」を超えて行けと説いたようですが。


信号機だけの写真では味気ないので、オマケとして花開いたクロッカスも・・・。

桜が咲く頃まで(1週間程)ブログを休みます。