今日はクリスマスイヴ、今年も残すところ1週間ですね。ひとことでいえば今年は悪い年だった。
来年はよい年になりますように。
写真はコンビニの入口を飾っているAKB48(ですよね?)と
ペットショップ入口のポニーちゃん(だと思います)。
クリスマスということでキリスト教の話題を・・・、
キリスト教の12使徒の中にイエスを裏切った人が2人います。
一人はユダ、もうひとりはペテロ。イエスを売ったユダは自殺しちゃいますが、
ペテロはキリスト教の正統的な継承者になり、ネロによる迫害でローマで殉教、
ローマカトリックの初代教皇になったのじゃなかったかな?
マタイの福音書からペテロの裏切りについて書かれた部分(26章の69-71)を引用してみると、
ペテロは外で中庭にすわっていた。するとひとりの女中が彼のところにきて、
「あなたもあのガリラヤ人(びと)イエスと一緒だった」と言った。
するとペテロは、みんなの前でそれを打ち消して言った、
「あなたが何を言っているのか、わからない」
そう言って入口の方に出て行くと、ほかの女中が彼を見て、そこにいる人々にむかって、
「この人はナザレ人(びと)イエスと一緒だった」と言った。
そこで彼は再びそれを打ち消して、「そんな人は知らない」と誓って言った。
しばらくして、そこに立っていた人々が近寄ってきて、ペテロに言った、
「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」
彼は、「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。
ペテロは「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」
と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。
聖書に書かれているこのペテロの裏切りの意味って何なのかなぁ? それも3度も・・・。
って、クリスチャンでない僕にはどうでもよいことですが・・・。
話題変わって・・・、
昨夜、ぼんやりと年表を見ていたんですが、
親鸞さんと明恵上人は生まれた年が同じなんですね、承安4年(1173)。
ちなみに、清盛が死ぬのが1181年。壇ノ浦で平家が滅亡するのが1185年。
お二人とも同じ年に生まれて同時代を生きたものの明恵さんは法然の批判をするのに対して、
親鸞さんは弟子になる。面白いです。
明恵さんといえば、
♪京都 栂尾 高山寺 恋に疲れた 女が一人~
「女ひとり」という歌の歌詞に出てくる高山寺を後鳥羽上皇から下賜されて開山した
かなり魅力的な人だったりします。
どーでもいいことですが、僕は上の「女ひとり」という歌を聴いた時、
「恋に疲れた」のところを「恋に憑かれた」と思ったものでした。
何かで歌詞を読むまでずっとそう思っていた・・・。
恋に取り憑かれた女がひとり高山寺へ来て、憑依した恋を取り除こうとしたのかと・・。
http://www.youtube.com/watch?v=fEP2_Lp-FtA
我ながら何やら意味のないことをぐたぐた書いていますが、今年はこれが最後の更新です。
それでは、皆様、よいクリスマスイヴを、よいお正月をお迎え下さい。