Hatibei's music blog

以前は写真ブログでしたが、最近はもっぱら音楽の話題です。

ショートショート

古びた店の並ぶ参道を進み長い石段を登ると臨済宗の古寺が建っていた。梅雨の時期には石段の両側に沢山の紫陽花が見事に咲いていた。
昭和が終わるまであと10年余りを残す頃だったろうか、その寺の軒下に松さんという乞食が住み着いていた。子供だった私は友人達と寺の下の道を通る度に「やーい松」と大声ではやしたてたものだが、松がその声に反応して顔を出すことは滅多になかった。仮に顔を出したからといってどうしようというあてもなかったのだが。
「昔、松という乞食がこの寺の軒下に住んでいてね」
私は一緒に寺の参道を歩いていた要子にいった。
「いつもこの道を通ると友達と一緒に松の名を呼んではやしたてたものだ。今、考えると酷いことをしたものさ。乞食の松を軽蔑して、いやその頃の僕は乞食などイヌやネコと同等かそれ以下だと思っていたのかもしれない。松は滅多に顔を見せなかったけれど、一度、松が怒って僕達を追いかけてきたことがあった」
「やんちゃ坊主だったのね」
要子がいった。
「追いかけて来た松の顔が怖かったな。悲しそうでもあった。子供達にからかわれるのが情けなくて悔しかったんだろうと思う。ま、彼にしてもなりたくて乞食になったのではなかったんだろうからね。この道を通ると何故かよく松のことを思い出すんだよ」
「私も」
と要子が私を見た。
「私もね、通っていた中学校の前を通るとよく思い出すことがあるの。あの頃、同じクラスに石渡さんという同級生がいて、彼女、母親を幼い頃に亡くして父親と二人暮らしだったのだけれど、どこか陰気な感じの子で、成績も悪くて、それにいつも着ている服が少し汚れていたの。そんなこんなでクラスの女の子達から無視されていたわ。私もその子のこと嫌いだった」
「で、君も無視した?」
「ううん、私はいい子をしていたから、嫌いでもそういう感情を表に出さないで、たまには彼女に話しかけたりしていたの。でも彼女は自分のことを嫌っている私の心を見透かしているかのように、私が話しかけるといつも皮肉な薄笑いを浮かべるのよ。変な同情から話しかけられるより、無視された方がずっとましだとでもいうように」
「考えすぎなんじゃない? 話しかけられたのが嬉しくて笑ったのかもしれないじゃない?」
「そういう笑い方じゃないのよ。冷笑に近いような笑い方で。そんな笑い方が癇に障って、ある日、私は彼女にいったの。あなたの服はいつも少し汚れているみたいだし、少し臭いって、そうしたら彼女、どうしたと思う? めそめそ泣きはじめたのよ。泣くなんてずるい。そんなことで泣いたりするから皆から無視されるのだと思ったわ」
「臭いってのはちょっと酷いかもね。男がいわれてもへこむかもしれないなぁ」
「そんなことがあってから彼女、学校を欠席するようになって、でもある日、久しぶりに彼女が登校してきた時、頭の上に大きな赤いリボンをつけていたの。それでまた男の子達にからかわれたりしてね。似合わなかったから」
「赤いリボンか」
「私、彼女の赤いリボン姿を見た時、悲しかった。でも一緒にいた女友達と一緒に笑ちゃったの、全然可笑しくないのに」
「それこそ冷笑というやつだね」
「冷笑とは違う。悲しくても笑えるってことがあるってその時知ったわ。今でも昔通ってた中学校の前の道を歩くとよく思い出してしまうの、石渡さんのこと」
「今はどうしているの、その人」
「さあ、同窓会名簿にも載ってないから行方不明みたい」
「ちょっと寺へ寄って行こうか」
と促し、私と要子は古びた寺の石段を登りはじめた。
「いじめで自殺なんていうニュースを目にすると、私はいじめの加害者だったのかもしれないって思うことがある」
「つきつめていえば人間関係の多くは加害者と被害者に分けられるかもしれないな」
梅雨晴れの日で石段を登りつめる頃には私は少し汗ばんでいたが、要子は涼しい顔をしていた。石段脇の紫陽花を見ながら、
「雨の日の紫陽花はしっとりて綺麗だけれど、晴れているとそんなふうには感じないわ」ぽつりと要子がいった。
「そうだね、密集した感じの花が暑苦しく見えなくもないね。たしか紫陽花は日本が原産で・・・」
私は紫陽花とシーボルトの話しをしようとしてやめた。今の要子はそういった話しに関心を示さないだろう。
「寺に確か仏像があったはずだから参拝して行こうか」
「ええ」
寺の観音堂に小さな十一面観音様が祀られていた。
「十一面観音にはお顔が十一あって、正面のお顔は慈悲の表情を浮かべていても、後ろについたお顔は暴悪大笑面といって愚かな人間を笑い飛ばしているんだそうだよ。ここの観音様の後ろのお顔は見えないけどね」
「そうなの。何だかすこし意地悪な観音様」
「観音様だって慈悲のお顔ばかりしてられないんだろうね。アホな人間達ばかりみていると表には慈悲の表情を浮かべていても裏ではもう笑ってしまうしかないって、あざけりのというか、さっき君がいったように悲しくてしょうがなくても大笑いを浮かべているのかもしれないな」
人が生きてゆくには加害者も被害者もいっぱひとからげに笑い飛ばすぐらいの図太さと残酷さを持ちながら生きてゆくしかないのかもしれない。そうでもしなければ神経がまいってしまいそうだ。被害者の立場であっても加害者の立場立であっても心の底に暴悪大笑面の面構えを秘めて。観音様だって慈悲のお顔ばかりはしていられないのだから。

寺からの帰り、石段を降りながら、
「夕食は焼肉でも食べようか」
と私がいうと要子は微笑んでうなずいた。その時の私には人に食べられるために殺される牛の傷みのことなど頭の片隅にもなかった。おそらく要子の頭の片隅にも。毎日のように動物の死肉を旨い旨いと食らうことがおぞましくなくていったい何なのだろう? 柔和な表情とスパイスでまぎらわしているにしても。