Hatibei's music blog

以前は写真ブログでしたが、最近はもっぱら音楽の話題です。

桜(要子)

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 隅田川堤へ桜を見に来たのは何年ぶりだろうか、今から何十年か前に要子と来て以来かもしれない。
 あの時も今と同様に桜は盛りを過ぎ、花びらが風に少し舞っていた。要子とふたり、春の長閑な風に吹かれながら舞う花の中を歩いたのだった。
「気持ちいいわね、また来年も来ましょうか、ここ」
「そうだね、来年も来てみようか・・・」
 そんな会話をしたのを今も覚えている。
 ひとりぶらぶらと堤を歩いていて、要子のことを思いだしていたせいもあるかもしれないが、正面から歩いてくる一人の女が要子に見えた。しかし、要子であるはずはない。なぜならその女は二十代、もし要子であればとうに四十は過ぎているはずだし、だいたい要子は既にこの世の人ではない。
 もう十年程にもなるだろうか、乳ガンが見つかってから一年たらずで要子はあっけなく逝ってしまった。私はそのことを未だに認めたくはないのだが、事実は事実として認めなければならないのだろう。
 もしも要子が乳ガンにならなければ、いやもしも乳ガンの発見がもう少し早ければと私はこれまで何度も考えたものだ。が、現実はそうではなかった。過去のことをいくら悔やんでも、時間は決して逆戻りはしない。
 それにしても正面から歩いて来る女は何十年か前に一緒にこの道を歩いた時の要子の姿によく似ている。服装や髪型まで当時の要子そっくりだ。
 女はすれ違いぎわに私を見て微笑みながら会釈した。私が驚いてすぐに会釈を返した時、女の声が聞こえた。
「西賀さんでしょう?」
「えっ」
 要子の声だ。
「私よ、忘れちゃったの? 要子よ」
「要子って、まさか、君・・・」
「もう一度ここで西賀さんとお花見がしたかったなー」
 私はただ驚き、女を見返すと、
「それじゃ・・」
 といって、女は足早に歩き去ってしまった。私はすぐに振り返ったのだが、そこにはもう女は姿はなく、ただ散り急ぐ桜の花びらが風に舞っているだけだった。
 桜の花びらと共に要子の霊魂が舞っていたのだろうか、私はふとそんなことを考えた。が、そんなはずはない。ただの幻覚だったのだろう。もうずっと昔、要子は死んでしまったのだから。


*写真は隅田川の桜ではありません。ちかいうちに行ってみようかなー、隅田川