Hatibei's music blog

以前は写真ブログでしたが、最近はもっぱら音楽の話題です。

落ち葉(楓)

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今日で11月も終わりですね。

写真は落ち葉(楓)です。

と、これだけではナンですので、昨日に続き『仏教の思想』からの引用です。
慧能(禅)の「無念」と「無住」と「無相」について。

「我が法門は、無念を立てて宗となし、無相を体となし、無住を本となす。
無念とは何か。われわれの心は、過去から現在、現在から未来へ、たえず続いている。今の私は、過去のよくない思い出に悩まされ、現在のさまざまな感覚にとらわれ、未来の不安に悩まされる。それが現在のわが心であるが、そのような心が、また未来に続くのである。こうして、わが心は永久にとらわれの世界にある。このとらわれの世界を離れるために、念をはなれよというのである。過去の思い出、現在の知覚、未来の期待や不安をすてよ。すべての心をすてて無心になるとき、われわれは、はじめてとらわれから自由になるというのである。
無住とは何か。わが心は、好んで多くの存在するものの中に住もうとする。わが心は、あの地位の中に、あの名誉の中に、あの女の中に好んで住もうとしている。そしてわが心は、あの地位の中に、あの名誉の中に、あの女の中に住もうとするとき、わが心は、地位や、名誉や、女にしばられる。地位や、名誉や、女の中に、一切の存在するものの中に、心よ、住むなかれというのである。
無相とは何か。すべてのものは、相をもっている。酒はうまいし、娘はきれいで、ババアは醜く、恋仇はにくいのである。けれどもそのような、うまさや、きれいさや、醜さや、にくさにとらわれるとき、わが心は、煩悩によって染められる。そのような相のとらわれから離れる時、わが心は、汚れのない清い心になっているのである」

欲少なく、足るを知り、生きながら愛着(煩悩)から離れ、わが身心の中に仏をみつける。これが禅というものでしょうか?
何事にもとらわれない自由な境地は確かによさそうですが、でも、やっぱり醜いババアよりはきれいな娘がいいかなー。喝!