Hatibei's music blog

以前は写真ブログでしたが、最近はもっぱら音楽の話題です。

廃屋と阿弥陀様と白骨の御文と枯木立

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つくばみらい市豊体(ぶたい)に江戸時代、伊奈忠治が小貝川の干拓工事で犠牲になった人達の霊を弔うために建てた寺、浄円寺が建っています。
干拓工事が行われていた頃は役所だった所なのだとか。
常総市の弘経寺の末寺だそうなので浄土宗の寺ですね。
この寺の前にだいぶ前から何故か修理も解体もされずに廃屋が建っていています。
前にもこの廃屋の写真をアップしたことがありますが、
その時よりもいっそう壊れていて、おお美しい!と思ったのでまた写真に撮ってきました。
門の横の螺髪(らほつ)の綺麗な石仏は阿弥陀如来でしょうか。
阿弥陀様を見ていて通夜でお坊さんがお経としてよむ蓮如の「白骨の御文」を思い出しました。

「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、
おほよそはかなきものはこの世の始中終、幻のごとくなる一期なり。
されば、いまだ万歳の人身を受けたりといふことを聞かず。
一生過ぎやすし。今に至りて誰か百年の形体を保つべきや。
我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず。
遅れ先だつ人は本の雫末の露よりも繁しといへり。
されば、朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。
すでに無常の風来りぬれば、すなはち二つのまなこたちまちに閉ぢ、
一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは、
六親眷属集まりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。
さてしもあるべきことならねばとて、野外に送りて夜半の煙となしはてぬれば、
ただ白骨のみぞ残れり。あはれといふもなかなかおろかなり。
されば、人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、
誰の人も早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深く頼みまゐらせて、
念仏申すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ」

不要かとも思いますが、一応、現代文にしてみると、

「さて、人間の無常な生涯をよくよく思いめぐらしてみると、
幻のような人の一生の儚さであります。
一万歳生きた人がいるとはいまだかつて聞いたことがありません。
一生はあっという間に過ぎてゆくもの。
いったい誰が今の姿のままで百年の命を保つことができましょうか。
自分が先に逝くのか他の誰かが先に逝くのか、
今日終わる命なのかそれとも明日終わる命なのか分かりません。
草花の雫や葉先の露が消えてなくなるより人の一生は儚いもの。
朝には若く美しい姿も夕方には白骨となる、人はそういう命を生きています。
無常の風が吹いたならば、二つの眼はたちまちに閉じ、
呼吸は永遠に途絶えてしまいます。血の通った顔はたちまち色あせ、
桃や李のような瑞々しい美しさが失われてしまえば、
家族や親族が集まって歎き悲しんでも、甲斐ないことです。
いつまでもこうしてはいられないと火葬すると夜半には煙となり、
後に残るのはただ白骨だけ。悲しいとい嘆いてみるのも愚かなことです。
人間の儚いことは老いも若いも関係ありません。
だからこそ、早く後生一大事(死後のこと)を心にかけて
阿弥陀如来を深く頼りとし、(南無阿弥陀仏と)念仏することです。
では、では」

漫画『明日のジョー』で「燃え尽きてあとには何もない。ただ白い灰が残るだけ」
といった生き方をジョーさんは望んだようですが、いいですね、そういうの。
燃焼しきらないで死んでも残ったエネルギーは火葬場の燃料にすらなりませんから。

寺の境内の枯木立が綺麗でした。
木立は枯れても春になるとまた緑の葉でいっぱいになりますね。