Hatibei's music blog

以前は写真ブログでしたが、最近はもっぱら音楽の話題です。

屋根

イメージ 1

屋根の写真です。苔がよい感じかなと思いまして・・・。

屋根の写真なんか、やーねって、声が聞こえてきそうですが、ま、いいや。

と、これだけではナンですので・・・。


先日、テレビを観ていたところ、番組の中で華厳唯心偈を紹介してました。

華厳唯心偈

心如工畫師 畫種種五陰 一切世界中 無法而不造。
如心佛亦爾 如佛衆生然 心佛及衆生 是三無差別
諸佛悉了知 一切從心轉 若能如是解 彼人見眞佛
心亦非是身 身亦非是心 作一切佛事 自在未曾有
若人欲求知 三世一切佛 應當如是觀 心造諸如來

心はたくみなる画師の如く種々の五陰をえがき、
一切世界の中に法(もの)として造らざる無し。
心の如く仏も亦しかり、仏の如く衆生も然り、
心と仏と及び衆生とは是の三差別無し。
諸仏は悉く一切は心より転ずと了知したまう。
若し能く是の如く解(さと)らば彼の人は真の仏を見たてまつらん。
心も亦是の身に非ず、身も亦是の心に非ずして
一切の仏事を作(な)し、自在なること未だ曾て有らず。
若し人もとめて三世一切の仏を知らんと欲せば
まさに是(かく)の如く観ずべし、心は諸(もろもろ)の如来を造ると。

「巧みな画家が様々のものを描きだすように、心もまたこの世のあらゆるものをつくりだす
地獄という苦の世界をつくりだすのも心なら、極楽という楽しい境地にすむのも心、
悟って仏になるのも心、迷って衆生にとどまるのも心、
すべては心がつくりだすものならば、心と仏と衆生とはひとつのものに他ならない
諸々の仏は一切の存在をつくりだすのは心に他ならないと説いている
もしそのことが理解できたのなら、まことの仏を見ることができるだろう
心と身体はひとつではないが、そのふたつが深くかかわりあうことによって
真の自由を手に入れることができるであろう。
もし人が過去、現在、未来、三世すべてにわたって仏を求め続けるならば
このようにして、やがて自らの心にやどる仏性を見ることができるであろう」


つまりすべては心のあり方次第ということでしょうか。

喜び、悲しみ、希望、絶望、怒り、不満、満足、不安、安心、etc

などはみな心が生み出すもの。世の中すべてのモノやコトにしても

「心」が認識して、はじめて意味を為すようなところもありますし。


そういえば、一休さんがいってます。

・仏とて外に求むる心こそ 迷いの中の迷いなりけり

・心こそ心まどはす心なれ 心に心こころゆるすな

・心とはいかなるものを言ふならん 墨絵にかきし松風の音

そういった「心」でさえも「墨絵に描いた松風の音」のように

実体のないものだといいたいのかな??