昨日アップした常陸の出雲大社から国道50号線を東へ2キロ程進むと
国道沿いに西念寺が建っています。
親鸞さん、健保2年(1214)に越後から常陸国へ来て、
前に紹介した下妻市小島草庵に3年ほど滞在した後、
ここ笠間市稲田の西念寺のあるあたりで、
京都へ帰るまでの約20年間を過ごしたのだそうです。(稲田の草庵)
この地で『教行信証』の製作を開始したのだとか。
『教行信証』はその後、親鸞さんが亡くなるまで手を入れていたそうですけど・・・。
「稲田の草庵跡」が寺になったのは後のこと(14世紀初め)ですが、
西念寺は浄土真宗発祥の地ということで、浄土真宗の別格本山になっています。
といっても、観光客がいる訳でもなく、京都の東西本願寺とはだいぶ趣が異なっていて、
時間がゆっくりと流れているような長閑な所でした。
親鸞の『一念多念文意』に
「この如来を方便法身とはもうすなり、方便ともうすはかたちをあらわし、御(み)なをしめして衆生にしらしめたもうをもうすなり。すなわち、阿弥陀仏なり。この如来は光明なり。光明は智慧なり。智慧はひかりのかたちなり。智慧またかたちなければ、不可思議光仏ともうすなり」
とありますが、つまり、阿弥陀仏は光明であり、智慧であるのだけれど、
それらは形がないから方便として不可思議光仏という形と名で衆生に知らせるということかな?
う~ん、難しい・・・。絵に描いたような阿弥陀様や浄土はあくまでも方便ということなのか?
『歎異抄』に
「親鸞は弟子一人ももたず候」
とか、
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人(いちにん)がためなり」
とか書かれているように、親鸞という人、教団をつくる意志は全くなかったようで、
僕個人としては教祖様というよりも、思想家、思索の人といったイメージが強い・・・かな??