昨日、天気がよかったので、思い立ったが吉日とばかりに、
親鸞が常陸国へ来て最初に住んだという下妻市の小島草庵跡へ行ってみました。
詳しくは写真の説明文のとおりですが、この時、親鸞は42才 。
筑波山のよく見えるこの土地で3年間暮らし、その後、笠間市の稲田へ移ることになります。
囲われた一郭に親鸞お手植えという「稲田恋しの銀杏」の古木があり、
その正面に「親鸞聖人御舊跡」と刻まれた石碑(「舊」は「旧」の旧字体)、
銀杏の古木の後ろには写真の文中にある五輪塔がありました。
越後に流罪になった親鸞が赦免された後、何故、常陸国下妻へ来たのか?
そのあたりの事情を知りたいものです。(ご存知の方、いらっしゃるかな?)
下妻市栗山(市内の中心)に明光寺という親鸞の弟子の明空の開いた寺があり、
そこに親鸞お手植えの柊があるというので、
ついでという訳ではないですが、見てきました。(5枚目)
明光寺の境内にも銀杏の古木があり、実をつけていました。
一番下の写真は小島草庵跡へ向かう途中に撮った筑波山。
筑波山は見る場所によってその姿を変えますけど、
親鸞さんが毎日のように見ていた筑波山はほぼこのアングル(形)だったはず、
親鸞さん、毎日、筑波山を見て暮らしていたのかと思うと、それだけで何やら親しみを感じます。