木曜日に撮った小貝川と筑波山です。
この日はよい形の雲が沢山でていて、写真を撮りたくなりました。
筑波山と小貝川と雲とを撮りながら、バイクでぶらぶら。
(下の2枚には小貝川は写ってません)
まだ撮った写真がありますので、近日中にアップしようと思います。
昨日、遊女に関する本を読んでいたんですけど、
万葉集に遊行女婦(うかれめ)という題で、
・君が家の花橘は成りにけり、花なる時に逢はましものを
なーんてのがあって、奈良時代にはもう遊女がいたんですね。
遊行女婦土師(うかれめはにし)というの(万葉集)もあって、
・垂姫の浦を漕ぎつつ今日の日は 楽しくあそべ言い継ぎにせむ
・二上の山に籠もれる時鳥(ホトトギス)今も鳴かぬか君に聞かせむ
・我が門に千鳥しば鳴く起きよ起きよ 我が一夜妾人(いちやづま)人に知らゆな
『物類呼称』を見ると、「遊女、うかれ女(め)、機内にてをやま又けいせいと云ひ、
江戸にては女郎といふ、伊勢の山田にて艶女(あんにゃ)といふ、
同国鳥羽にてはしりがねといふ、近江にてそぶつといふ、出羽秋田にてねもちといふ、
奥州にてをしゃらくといふ・・・」と、延々と地方での遊女の呼称が載ってました。
「越前越後の海辺に(遊女を)浮身というものあり、旅商人ここに逗留の内、
女をまうけて夫婦の如くす、此家を浮身宿といふ」なーんてことも載ってました。
浮身という語感はいいな~。世の中にただふわふわたよりなく浮いている感じがして・・・。
平安末期に書かれた『遊女記』によれば、
遊女はみな小船に乗って漂客のおくりむかえをしたので遊行婦あるいは宇加禮女(うかれめ)
などの呼び名がおこったのだそうで・・・。
明和の頃(江戸時代)の川柳に、
・二度と行くところではないと三度行き
なーんてのがあって、
明和の頃の遊女遊びは遊んだ後に後悔するよう感じだったのかな?
お金もけっこうかかったんでしょうね。
でも、今でいう単なる売春とは違って、心理的な恋愛ゲームが面白かったのかも。
そうでなければ、そんなに何度も通うことはないだろうし・・・。
音楽はサティの「おまえが欲しい」
タイトルに似合わず? 親しみやすいワルツです。
http://www.youtube.com/watch?v=eqqPvg-tD7Q
紫陽花がたくさんでてくる画面が今の季節によくあうような気がして・・・。
ウィキペディアによるとこの曲は「スロー・ワルツの女王と呼ばれた
人気シャンソン歌手ポーレット・ダルティのために書かれた」そうです。
ということで、歌付きはこちら。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=JvKmBgxC_s4
「おまえがほしい」なーんてことは、そういえるものではないけれど、
遊女遊びでなら、そんな言葉を連発できそうな気も・・・。
Love is an only game ならば気楽ですからね~。
ま、そんなことをいうと、顔をしかめる女性が多いのかもしれませんが。