上の2枚は昨日に続き、龍ヶ崎歴史民俗資料館の中で撮った写真です。
茨城県龍ヶ崎市あたりは江戸時代まで伊達藩仙台領でした。
伊達藩といえば外様の大藩、あの松尾芭蕉は伊賀生まれの忍者で
『奥の細道』は外様の大藩である仙台の伊達と加賀の前田を探りに行ったもので、
俳句は忍者の暗号であったなどという荒唐無稽な話しがあったのを思い出しました。
でも江戸幕府が崩壊した時、伊達藩は最後まで徳川を見捨てませんでした。
最後の将軍慶喜がもう少し軍事指揮官としてまともであれば、
歴史は随分変わっていたかもしれません。軍艦だって持っていたことだし・・・。
東海道を江戸へ進軍する官軍に海から艦砲射撃すればよかったのにと
関東人の僕はついつい考えてしまいます。
勝てたかもしれない戦争を回避して負けてしまったトップというのは、
歴史上徳川慶喜さんぐらいしかいないのじゃないかなぁ?
トップが敵前逃亡したなどというのも徳川慶喜さんぐらいしか聞いたことないし・・・。
慶喜さんに北海道まで行ったって降伏などしないというガッツがあったならばなぁ。
第二次長州征伐の時も将軍名代として慶喜さんが出陣するはずだったのに、
高杉晋作ひきいる奇兵隊などによる関門海峡突破と小倉浜上陸戦との攻城戦で
小倉城落城の情報を耳にした慶喜さん、戦況の挽回は不可能と判断して
出陣を中止しちゃうあたりは信じられないなぁ・・・。
インテリだけどアホなぼんぼんだったということなのかな?
って、話しがそれてしまいました。歴史にタラ・レバ・モシはありませんしね。
下の写真は龍ヶ崎の町中で撮ったトタンばりの建物。今時、珍しいなと思ってパチリ。