写真は3年程前に撮った満月の写真。
・月かげのいたらぬさとはなけれども ながむる人のこころにぞすむ (法然)
という歌があったけれど、法然という人は浄土宗の開祖だから、
「空で輝く月、その光りはいたるところを照らしていても、その明るさやすばらしさを感じるかどうかは見る人の心次第、仏(阿弥陀)の慈悲も同様でそのすばらしさを感じとれるかどうかはその人次第」
といった仏教的解釈?になるのかな??
この歌、仏教的にとらえなくても、たとえば幸福といった事柄に置き換えてみても面白いかも。さまざまな幸福が夜空の月からの光のようにいろいろとふりそそいでいるのに、それに気づくかどうかはその人次第。
ま、何事も心のありかたで変わるかも。いつも不満で満たされた心でいるよりは、本当はさまざまな幸福につつまれていることに気づいた方がよいのかもしれないなぁ。
心象風景が殺風景になるのは、単に様々な風景に気づいていないだけのことかと少し反省・・・。
・・・だけなら猿でもできる(って少し古いな)