Hatibei's music blog

以前は写真ブログでしたが、最近はもっぱら音楽の話題です。

善空寺(つくばみらい市)

今年で yahoo ブログが終わってしまうので、こちらに引っ越してきました。

2010年9月13日に yahoo 書いた記事をコピペしてみました。

 

つくばみらい市をぶらぶらしていて「阿弥陀如来立像」という看板が見えたので、その看板を出している善空寺(浄土宗)へちょっと寄ってみました。寺に関しては説明板のとおりです。ちなみに文中に出てくる文明三年は1471年、貞和二年は1346年です。
本堂に南北朝時代に造られたという阿弥陀如来立像がいらっしゃいました。古い時代の仏像としては綺麗なお姿だなと思いました。

と、これだけではナンですので・・・。

「やめよ、アーナンダよ。悲しむな。嘆くな。アーナンダよ。わたしは、あらかじめこのように説いたではないか。すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。およそ生じ、存在し、つくられ、破壊されるべきものであるのに、それが破滅しないように、ということがどうしてありえようか。」(中村元氏訳『大パリニッバーナ経』より)

これは、老いてこれから死んでゆこうとするブッダが弟子のアーナンダにいう言葉。この世が無常であることをいっているのだと思います。無常である以上、愛する者と別れるのは当然。人が死んでゆくのも当然。で、そんな無常の世でどのように生きたらよいのか、中村元氏訳の『大パリニッバーナ経』にはブッダが残した言葉としてこんなことが書かれています。 

「この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。」

島というのは理解が難しそうですが、これは日本の仏教で「自灯明・法灯明」の教えとして知られているもの。結局のところ、人が頼れるのは自分自身しかいないのだけれど、そういった孤独な中で生きなければならなくてもブッダの説いた教え(法)は頼りになるはずだ、といいたいのかな? 換言すれば、世間の常識や権威などにふりまわされることなく、自らと法とをたよりとして生きてゆきなさいということなのでしょうか。