時代物のポンプです。
水の出る部分が見あたらないけれど、こういうの龍吐水というのかなぁ?
と、これだけではなんですので・・・、
先日『観音経』をみていて何だかよく意味がわからなかったので
『観音経』の解説書を読んでみました。
要するに、人には様々な面があり、鬼のような面もあるなら観音様のような面もある。
それなら、自己の観音様ような面を発見し、それを見つめ、のばして生きてゆきなさい
ということらしいです。
浄土真宗などでいう絶対他力の考え方とはまた違うようですが・・・。
・極楽はまみげのうえのつるしもの あまり近さに見つけざりけり (道元)
・極楽は西方のみかは東にもきたみちさがせ みんなみにあり (一休)
道元さんの歌のまみげは眉毛のこと、
極楽はとても近いところにあるのでなかなかみつけられない、といった意味かな?
一休さんの方は駄洒落というかオヤジギャグか?ってな感じです。
来た道の「来た」は「北」、「みんなみ」は「みんな身」と「南」にかけてます。
極楽は西方浄土ばかりでなく東西南北どこにでもあるから来た道をさがしてごらん、
ほら、結局全部自己の中にあるじゃないか。
といった意味でしょうか?
一休さん、現代に生まれていたら「笑点」の大喜利のメンバーになっていたかも・・・。
このおふたりの歌、禅宗などでいう「己身の浄土」「唯心の弥陀」といわるもだそうな。
心の中にも「防火用水」を用意しておいて、煩悩による欲望の炎燃えはじめらたら、
メラメラ燃え上がる前にさっさと消しちゃった方がいいのだろうなー。