Hatibei's music blog

以前は写真ブログでしたが、最近はもっぱら音楽の話題です。

小塚原の回向院と延命寺

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南千住駅のすぐ近く、回向院(大相撲発祥地として知られる両国回向院の別院)と延命寺があります。(この二つの寺、昔は同じ寺でしたが、常磐線の線路が敷地を二分して以来、二つの寺に別れました)
このあたりは昔の小塚原(骨ガ原からきた地名とも)の刑場跡です。江戸時代を通じてこの刑場だけで約20万人もの人が殺されたといいます。当時、江戸にはここだけでなく、鈴ケ森にも刑場があり、奉行所内で処刑が行われることがあったそうで、江戸の人口が多い時で約100万人であったことを考えると、処刑者の数の多さに驚かされます。
延命寺の「首切り地蔵」は寛保元年(1741)将軍吉宗が刑死者の霊を弔う為に建てたお地蔵様。以後、処刑される人達が最期に見たお地蔵様ということになります。(この寺、浄土宗の寺ですが、地蔵の横に何故か念仏ではなく「南無妙法蓮華経」とお題目の彫られた石塔が立ってました)
回向院には安政の大獄で殺された橋本左内吉田松陰の墓、また、寺の入口には『解体新書』の絵とびらをかたどった浮彫精銅板(一番下の写真)があります。こちらの説明は寺の案内板からそのまま引用します。
「一七七一年・明和八年三月四日に杉田玄白前野良沢中川淳庵等がここへ腑分を見に来た。それまでにも解体を見た人はあったが、玄白等はオランダ語の解剖書ターヘル・アナトミアを持ってきて、その図を実物とひきくらべ、その正確なのにおどろいた。
その帰りみち三人は発憤してこの本を日本の医者のために訳そうと決心し、さっそくあくる日からとりかかった。
そして苦心のすえ、ついに一七七四年・安永三年八月に『解体新書』五巻をつくりあげた。(後略)」