Hatibei's music blog

以前は写真ブログでしたが、最近はもっぱら音楽の話題です。

京都 五山の送り火

昨夜、テレビで京都の五山の送り火を観ながら亡くなった人達のことを思い出していました。今年は叔父二人の新盆だったこともあって、生前の二人の面影をいろいろと思い浮かべ、しんみりとした気分になりました。他にも昔友人だった同窓の女性も亡くなったし、つい先日には友人のお母さんが亡くなった報せがあったりで、今年は本当に訃報の多い年です。

上記の友人と舞妓さん達で京都観光をしてから夜になって五山の送り火を観たことも思い出しました。ついこの前のような気がしますが、あれからもう3年になります。トシをとると時の流れに加速度が加わってくるようで、このぶんだとアッというまに僕の人生も終わってしまいそうで、怖いような・・・。

ウチの宗旨は浄土真宗本願寺派なのですごくカタイことをいえば、五山の送り火祇園祭りなども)は関係がないというか、そういったものは無視してただ阿弥陀様への信仰一筋であるべきなのだろうけれど、ま、僕は熱心な門徒という訳ではないので、京都の五山の送り火を観ながらあれこれと思いを致すのもよいのではないかと・・・。

それにしても、人はこの世に生まれてきて嬉しいことや悲しいことやあれこれと様々なことを経験して、そういったことを山のようにたくさん積み重ねていって、でも最後は皆例外なく死んで消えてゆく、これをどういうフウに解釈というか理解し納得すればよいのだろう? 考えてみても未だによく解らないというかうまく納得できません。そもそも理解したり納得したりすることに意味があるのかもよく解りませんけど。ただひたすらに生きて死ぬ時が来たら死んでゆく、それしかないのか? 古代ギリシャの快楽主義者エピクロスは人は生きている間は死んではいないのだから死を恐れることはないといっているけど(人は死であらゆる感覚をなくすと考えていたようで)そういう考え方もありなのかな?

https://www.youtube.com/watch?v=HuS5NuXRb5Y - The Beatles - Eleanor Rigby

https://www.youtube.com/watch?v=tIIYJ6S-J3k - St. George Quintet - Eleanor Rigby