ハナミズキが咲いているのをよく見かけるようになりました。
何年か前、守谷市の公園のハナミズキの木の下によくノラネコのマキがいたっけ。
ハナミズキの花を見ていてふとそんなことを思い出しました。
そのマキももういなくなってしまった・・・。
うちの飼い猫のミーもいなくなってしまったし・・・。
そうやってみーんな、みーんな消えていってしまうのだなぁ。
ネコも人も同じこと。
『方丈記』にこんな一節がありました。
「昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れてことしは造り、
あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。
所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、
二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。
あしたに死し、ゆふべに生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。
又知らず、かりのやどり、誰が為に心を悩まし、何によりてか目をよろこばしむる。
そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはば朝顏の露にことならず。
或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。
或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし」
長生きの植物はそんな世の中の有様をただ沈黙して眺めている・・・。
毎年決まった季節に花を咲かせるのは消えていったもの達への供養のため?
でも長生きの植物もやがて枯れてしまう・・・。
新しい生命が生まれてくるためにはしょうがないことなのでしょうけど、
新しく生まれてくる生命もまた消えてゆく運命な訳で・・・。
「ただ水の泡にぞ似たりける」か。
そういえば、『方丈記』の書かれた1212年は法然の亡くなった年だったりもします。