マキは子育て中。
食物を食べていても仔猫が来ると仔猫を優先させる、マキはそんな優しいネコです。
山葵やゆかりや銀ちゃんがもわられていって、残されたマキは少し淋しそう・・・。
下の写真は去年の今頃撮ったマキの写真です。
今年も1年間いろいろあったけれど、お互い何とか生き延びたね。
諸行無常といって物事は刻々と変化していて同じところにとどまらないというけれど
来年の今頃もお互い生きていて、またこうやって君の写真が撮れるといいな。
因果というのがあってね、世の中は因と果で成り立っているんだって。
で、仏教ではその果がまた因になってというふうに物事が変化してゆくと考えているんだ。
けれど、どんな因でどんな果を招くかはとても複雑で人間にも全くわからない。
ま、僕としちゃ、これからはなるべる因を減らしてゆこうかと思っていたりしてるんだ。
そうすると「因」を減らしたという「果」が出てくるのかな?
ま、君の場合はそんなことは何も意識しないで、その時その時をただ生きているのかな?
人の場合もそんな生き方がよいかもしれないな・・・。
物事なるようになってゆくものだもだし、なるようにしかならないともいえるし、
それでも、あれこれ考えてしまうのが人の「業」というものかもしれない。
何を訳の分からにゃいとこをいってるのか? って。
本当をいうと、生まれてこの方、何もかもさっぱり分からないまま生きているのさ。
自分以外のもの(外界のもの)を視覚や聴覚や嗅覚や味覚や触覚の五感で感じて、
それを適当に判断して生きてきたけれど、感じている自分も感じとられるその対象も
それらの本質はさっぱり分からない。無明の闇の中・・・。
人は言葉を使って論理的に思考できるからお利口だと思っているようなところがあるけれど、
笑ちゃうよね、本当は大バカなのに。